昭和40年03月29日 朝の御理解



 昨日と一昨日、久留米の櫛田の教会で典楽会の、稽古日になっておって、長女をあちらの三井教会の楽員として、典楽会に入会させて頂いておりますから、それから参りました。その前の日は相当出席が多かったらしいですけど、二日目は大変少なかった。もう大変この、豊美として恵まれておる事は、あちらで先生と言われる人達が皆椛目に縁を頂いておる方達であるという事。
 あのう、本当にそれで皆から大事にしてもろうて、それこそ手をとらんばかりにして、教えて頂くという事を申しておりました。昨日なんかは、ちょうどその先生方もここにお参りされる、原口っつぁんとそれから特別私達と関係のあります方なんですけれど、中西さんという方があります。その、すとこの前の高山先生と、何か新しい楽人さんと豊美と二人を特に終日ですねぇ。
 手を取るようにして、まぁいろいろ教えてもらい、楽譜なんか、中島さんなんかは、中西さんじゃありません、中島さんです。なんかは豊美に貸して下さってから、もうそのう合間合間に、豊美に話される事が、本当に私がこうやって、今日おかげ頂いておるのは、もうよくよく思うてみると、お宅のお父さんのおかげですと言うてその、まぁいろいろ話されたという。
 もう終戦直後の私が引き上げて参りましてから、いよいよ私の信心がまぁいよいよねっしそのう、親先生が何処においでられても、お話される中に私の話が出るといったような時代です。久留米で今、思うてみますと、野口つぁん達がおられます近所に、裏町なんです。あちらに中島さん住んでおられましたが、あちらに私の友達の方がおられまして、友達の姉さんがおられましてから、そこにちょいちょい参りました。そこで聞かせて頂いて、もうう実にあわれな話だったんです。
 ですから大坪さん、あなた何とか、あちらも大体金光様の信心しなさるごたる風やから、話ばしてあげて下さいと言うてわざわざ呼びに行かれましてね。それこそ、昨日も言われたほんに、そうやった、そげな事があったと私も思うたんですけども。三日三晩、親子三人の者が、御理解を頂き続けた事がございますちゅうて。もう私共一家三人って言うてから、親子三人でしたけれど、それに、もう七十、もうおうかた八十のお婆さんが、一人おられました。
 朝鮮で手広く呉服屋をしておられたらしいんですけれども、引き上げて帰って、もう、いよいよ、本当に心中でもしなきゃおら、ならんという所まで行き詰っておられた。それを、その私の茂田さんの姉さんに波多野、羽野さんていう方がおりましたが、その羽野さんのいわばお導きで親子、その三人の方達があちらにみえましてから、お話をさせて頂いた事がございます。
 善導寺の教会にも私があのうお導きしてからお参りした事がございます。その時の事を、もし、あの時にお宅のお父さんに助けて頂いてなかったら、現在の私共はありませんちゅう。もうほんな事言うと、私はここでいっちょん助かっとらんとですもんち言う。もうあの時助けて頂いた、そしてもう本当に、あの、皆さんご承知かもしれませんけれども今の石橋先生のもう影になり日向になり夫婦の者が。
 それでもう中西さん、あ中島さんなんかは現在櫛田の教会に、入り込んでから御用頂いておられます。もう本当にもうそれは、とっても良い方なんですこの方は。その方がそれはとあの時も、ね、あの時にお宅のお父さんのお話を頂いておらんで、おったらもうどういう事に中島の一家はなっとっただろうかと思う。あそこをようもようも、乗り越えさせて頂いたもんじゃああると言うて、まぁ何時でも思いますという。
 または仲原でこうやって御用頂いておられる事を、聞きましたもんですから、もう早速早くでしたけれど、先生にこんなわけで特別な関係があるとでございますから、一遍ご連絡させて頂きたいと言うて、そのお届けをさしてもらいましたら、先生がもうしばらく時期を待てって言われるもんですから、御無礼しとりますと。けどもどうぞその、こんな訳の後ですけん、どうぞお父さんによろしゅう申しあげて下さいと言うてからその、くれぐれもお話があったと言うてから、豊美が夕べ話をしておりました。
 本当に私共がです、もしあの時、信心がなかったら、あの時、あの先生にお目にかかっていなかったら、現在の私達は無いといったような人達が沢山おろうと思うですね。椛目でもそうです、そう思うです。本当にあの時に、現在のおかげを頂く元が出来た。ようもあそこを乗り越えさせて頂いたもんだという事。私はそういう時ほどです、乗り越えさせて頂いたという実感というものがあると思うんですねぇ。
 ようもようも考えてみたら、あすこは、ようやり抜いたもんじゃあると。乗り越えたもんじゃあると、という時にはです、大した事はないと思うですね。もう本当に乗り越えさせて頂いたと。その時その時に御理解を頂いては、自分の心の中に一つの元気を頂き、光をかを見つめさせて頂いて、あそこを乗り越える。これは私共自身の事もそれが言える。本当に信心があったからこそ、あの修行時代のあの時代の事を、乗り越えさせて頂いたんだという事。ね。
 乗り越えたというのと、乗り越えさせて頂いたと、ね。お参りをした、お参りをさせて頂いたと。こうした、こうさせて頂いたという事の内容というものは、大変な違いが出来てくるわけなんです。ねぇ。今日も目覚ましのおかげを頂いたと。ね。目が覚めたと。ね。目を覚まさせて頂いたというのと、目が覚めたというのは、もう大変な違いなんです。ところがです、ね。
 おかげいた、そのうお参りさせて頂きましたといったような事が通常に使われる。あまりに簡単に使われる。それで内容は参ったのだけれども、言葉だけには参らせて頂いたと言っとう様な場合が私共に、いろいろあるんじゃないかと思うですねぇ。参らせて頂いたという所に立ってなからなければ、私は本当の実感的な参らせて頂いて有難しという有難いが伴わないと。こうしたと言うのじゃなくてこうさせて頂いたと。ね。
 こう御用をしたと御用させて頂いたと。御用させて頂いて有難う御座いましたというけれどもです、有難うないとするならばです、その内容は御用した事になっとるです。ね。こういう難儀な問題にこういう問題にです、私はお使いを頂いたと。例えば今の昨日なんかはお土地の所の、そんな関係者方の集まりがありましてから、幹部それに携わった関係のあられる、委員の方達が集まられましてから大変難しい問題がです。
 おかげを頂いて、まぁスムーズにおかげを頂いた。スムーズにというてもです、やはりおかげを頂かなければ出来る事ではないようなおかげを頂いて、あそこを乗り越えさせて頂いた。昨日、御用頂いた方達は、そういう御用にお使い回しを頂いたわけである。だから、こういう、一つ一つの例えば御造営なら御造営に対しても、またこれから先どの位沢山の山があり節があるやら分からない。
 これを、一つ一つ乗り越えさせて頂くという事の有難さ。しかも、乗り越えさせて頂いたという時にはです。必ず、そこから芽が出ておる枝が出ておるという、おかげになってこなければ嘘なんです。乗り越えたのとは違う。一つ一つあの事も、ああいう難儀な問題も、お取次を頂いて、お願いをさせて頂いて、お祈りの中に、ああいう御用にお使い回しを頂いたんだという実感が、いわばなからなければ、御用させて頂いたいう、なら値打ちが無くなってくる。
 御用したのと、御用させて頂いたというのはもう大変な違いなのである。これは、銘々の事においても同じ事です。あそこを乗り越えたというのと、乗り越えさせて頂いたというのは、そのう、内容においてまた結果において違うてくる。ね。乗り越えさせて頂いたという方には、必ず、いわば節を元気な心で受け抜かせて頂けば、そこからそのう芽が出たり、枝が出たりするおかげになっておらなければならん。
 もしそこが自分の我力で乗り越えたのであったら、乗り越えたは乗り越えたであろうけれども、私はそこから芽も出ていなければ、枝も出ていないと。そこに、いわば乗り越えさせて頂いたと、御用させて頂いたという、頂いた内容のです。貧弱な事と高度な事という事を、一つ、分からなければいけないと思う。ね。神様のおかげを頂かなければ、乗り越えられる段の事ではなかったという実感。ね。
 そこに私はああさせて頂いた、こうさせて頂いたという事が言えるのであり、またおかげが頂けれるとこう思う。ただ本日も御用させて頂いて有難いとこう、言葉に言うておるだけで、実に内容は有難いという物も無いし、そこからなら枝も葉も出ていないとするならです。私はその御用させて頂いたと言うても、その事に対して再検討をこやさせてもらい。なるほど神様のおかげを頂かなければ出来ないという事をです。
 一つ分からせて頂かにゃいけんと思うですねぇ。それがです、ならこれは銘々の問題でもそうなんですけれど、特に中島さんのその話ではないけれど、本当にあの時一家心中でもしなければならんような所に追い込まれておった時にです。三日三晩お話を頂き続けさせてもろうて、自分達親子三人の、いうなら心が開けて元気な心を出してから、おかげを頂かせて頂いたと。その実感が今もやはり残っておると。ね。
 だからそういう、とても力などでは出来る事ではないという様な時にです。愈々頂いたという実感を頂かしてもらい。そしてどういう些細な事の中にでもです。神様のおかげを頂かなければ出来ることではないという実感がです。頂けれる様になる時に、本当の信心生活というのは出来るのじゃないでしょうかね。今日もおかげで目覚ましのおかげを頂いたね。御用させて頂いたお参りさせて頂いた。どこどこにやらせて頂いた。
 今日も一日、おかげを頂かせて頂いたという、そういう頂いた所の、生活。頂く所の生活。その内容をです。何か、もう特別難儀、特別難儀と感じる様な問題の時にお縋りをさせて頂いて、そこを乗りき、乗り切らせて頂いたその実感を持って、そういう目が覚めた事も、御飯を炊かせて頂いた事も、お参りさせて頂いた事も、頂いたという実感を持って頂けれるようになる生活が、本当のいわゆる感謝の生活というか、神恩報謝の生活というのはそういう頂いた生活からしか生まれてこないと私は思うですねぇ。
   おかげ頂きました。